塾長の部屋


星の数ほどあるサイトの中から・・・

私のサイトにおいで下さってありがとうございます。これも何かのご縁でしょうから、ゆっくりとご覧下さい。




「私」の正体

このサイトの管理人である「私」は、首都圏の、とある私鉄沿線で30年間、個別指導の学習塾をやったあと、郷里の九州に戻り、性懲りもなくまた同じような個別指導塾をやっている「塾長」です。といっても、「塾長」自ら教えている小さな塾ですが・・・。






私の顔



誰ですか!私の顔を見て笑っているのは!






おやじの子育て奮闘記 (5年間の雑記)

これは塾長がまだ若かった頃、子育てをしたときの記録です。 これまでの人生で一番楽しく刺激的な日々だったと 今でも確信をもって言える期間です。 いわば私の人生の宝物。 暇と興味のある方は、お読み下さい。 

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2000年7月某日 :  俺は死ぬのか・・・

●早朝、2470グラムの男の子が産まれた。 お医者さんからはさんざん「早産のおそれあり」と脅されていたので、とにかく無事に生まれてくれてほっとした。朝8時に初めて我が子と対面。このとき我ながら不思議なことを思った。「ああ、おれもいつかは死ぬんだなあ。」これが自分の第1子を見て感じたおやじの素直な気持ちだ。変なおやじだ!何でこんなことを思ったか。おそらく「生命の連続性」というものに目覚めたからだろう。日頃塾では生徒たちに遺伝だ何だって教えているけれども、新たな生命体を目の当たりにして、なぜこの子がこのように生まれてきたのかを悟らされたのだろう。それは、いつかは滅ぶ古い生命体の命を次の世代に託すために他ならない。そう、私もいつかは死ぬ。だからこそ私の息子がここにいるのだ。息子の誕生が自分の死を意識させた、奇妙な1日だった。





2000年9月某日  おやじは主婦(主夫)
●9月から嫁さんが仕事に復帰することになった。午前中から夕方まで私が息子の世話をする。おやじの子育ての始まりだ。え?おまえ、仕事はどうしたんだって?ほら、学習塾って生徒が来るのは夕方からでしょ。だから何とかやりくりできる・・・。というのは大間違いで、生徒を教えるだけが塾の仕事ではないんで、結構いろいろ忙しいのね。だからその分睡眠時間を削るわけですよ。それでも今まで午前中にやっていた仕事を全部こなすことはできないんで、結構大変は大変。でも毎日子供の成長を自分の目で確認しながら生活するのって、思っていた以上に楽しいんですよ。周囲はいつまで続くかなという目で見ているけど・・・

●おやじの日課は次の通り
  • 朝洗濯をしてベランダに干す
  • おむつバケツの石鹸水の入れ替え
  • 息子の朝のミルク
  • (ミルクで赤ん坊が寝れば)仕事(塾の事務処理)
  • 昼のミルク
  • 自分の昼食
  • (月、水、金)風呂掃除  ・・・  時々さぼる
  • この間おしめ交換、数回
  • 午後3時過ぎに嫁さんと引継ぎ
嫁さんと交代して、今度はおやじが仕事に行く。いつも3時過ぎに家を出ていく私を見て、別棟のマンションのおばさんがいつも怪訝な顔をしているのには、いくら鈍感なおやじでも気づいている。





2000年11月某日  頭がぺしゃんこ!?

●おやじのおやじ(つまり私の父親)が孫の顔を見に上京。赤ん坊の頭の形がゆがんでいるのを、さんざん説教された。右側を向いて寝ていることが多いためか、確かに右の後頭部がぺしゃんこなのである。前々から気づいてはいたが、「そのうちよくなるだろう」とタカをくくっていた。しかしおやじのおやじは「ばかもん!一生なおらんこともあるぞ!これは親の責任だ!」と一喝(いや三喝)。嫁さんは(私は知らないわよお、あなたがお説教されてよね!)みたいな顔をして台所で皿洗い。しかしなあ、知り合いのおばさん、お婆さんなんかに聞いても、「心配要らないわよ、そのうちちゃんとなるから・・・」という人が多いんだよね。どっちが本当なの?ただ気になるのは、以前教えた生徒で、頭の形がかなりいびつな子が1人だけいたという事実。ウーム・・・しかしだからといってどうすりゃいいのよ。息子は、左向きに寝せてもすぐに自分で右向きになるんだから、どうしようもないでしょ。それともギブスでもさせればいいの?





2001年1月某日   息子の顔

●おやじの年賀状は毎年木版画でつくっている。今年は息子の顔をモチーフにして彫った。といっても本人の顔をデッサンしたりしたわけではない。年末に買った童話絵本「わらしべ長者」の主人公の顔が息子にそっくりだったので、そのまま借用したのである。(これって著作権の侵害?)嫁さんも「わーあ、似てるーう!」と言うくらいだから、下手に細工しなくてよかったと思う。ということでできたのが下のようなもの。








2001年5月28日(月)  頑固な0歳児

●2001年5月27日は非常に衝撃的な1日だった。10ヶ月の赤ん坊にもちゃんと人格があることを、身をもって知った。ことの顛末はこうである。

●日頃息子に食事を与えるとき途中で「プーッ」と言って食べ物を吐き出すことがある。時には食べているとき以外でも「プーッ」という。どうも何かに不満があるときにやるようだとはわかっていたが、他人の前でも「プーッ、プーッ」とやられてはまずいと思い、何とか止めさせたいと思っていた。

●たまたま昨日は息子を連れて仕事場に行き、6時間ほど息子と私だけで過ごす時間があった。私は仕事をしながら、息子を床において勝手に遊ばせ、ぐずり出すと抱っこしてあやす・・・ということのくりかえしだったが、そのうち例の「プーッ」をやり始めたので、「プーッ」を言うたびに抱っこするのを止め、さらに「プーッ」を続けるとだんだん距離を遠くしていき、最後には姿を隠す、ということをやった。すると必ず泣き始める。私の頭の中では、これを何回か続けるとそのうち、「プーッ」をやると自分が困ると思ってやらなくなるだろうとタカをくくっていた。今の息子にとって1人にされることは非常に嫌なことだからだ。ところが何回やっても「プーッ」を止めず、そのたびに私に見捨てられては泣くことを繰り返した。

●そこで私は考えた。「親が去っていく」という行為は息子に「精神的なダメージ」を与える作戦だ。しかしそれがうまくいかないのなら、今度は「肉体的ダメージ」を与えてみたらどうだろう。ただ「肉体的ダメージ」と言っても、頭を叩くとかお尻を叩くと言った体罰ではない。(息子に対してそんなことやれと言われても私には到底できない) もっとソフトに、デコピンをすればいいだろう。(デコピン=親指と人差し指で円を作り、人差し指を軽く跳ねて、おでこを軽くはじく行為)

●ところがである。抱きかかえておいて、「プーッ」をするたびにでこピンをするのだが、「プーッ」を止めるどころかますますひどくやるようになった。こちらが怒っているのを息子も感じ取って泣き始める。しかしそれでも、「プーッ」をやめない。やったらすぐにデコピンをするが、そしたらまたすぐに泣きながら「プーッ」・・・

●いったい何十回繰り返したろう。このままでは何の進展も望めないと考えた私は、「今日こそ、プーッを止めさせよう」という決意をとうとう引っ込めざるを得なかった。

●それにしても息子のあの頑固な態度、あの根性、・・・見上げたもんだ。正直な話私は息子に畏敬の念を感じた。それまで赤ん坊というものを見くびっていた。まだ十ヶ月そこそこの赤ん坊だから、知能程度は犬猫よりやや上ぐらいか、と思っていた。だから、嫌な思い、痛い思いをすれば、、「プーッ」を「本能的に」やらなくなるだろうと思っていた。しかし「痛い思い」をしながらもあくまで自分の「不満の意」を表そうとする態度は、何ら大人と変わらない頭をもっている証拠だ。

●それでも家に帰るまでは、私に抱っこされると安心した様子であった。しかしベッドルームに入った途端事態は一変した。暗がりの中で、寝ていた母親を見つけ、母親に抱きついたっきり離れなくなった。「ああ、父と子の信頼関係をデコピンで壊してしまったか・・・」と私は沈鬱な思いで夕食を取り、就寝した。

●今朝、息子と私のどちらが先に目を覚ましたのだろう。気がついたときには母親に抱かれた息子がそこにいた。私が代わって抱こうとすると猛烈に泣き始めた。それでも屈せず抱きかかえると、私の顔に、泣きながら「プーッ」、「プーッ」、「プーッ」・・・。ああ、こいつ昨日のことをまだはっきり覚えているんだ。きっと心に大きな傷をつくってしまったんだ。どうしよう・・・。一生覚えているんだろうか?親に裏切られたと思っているんだろうか?もう元には戻らないんだろうか?・・・

●お昼近くになると私に対する態度も少し柔らかくなった。それでも床に座っている息子を抱こうとすると、一瞬躊躇して、結局母親を探す風情を見せる。それでも抱っこすると、抱きかかえた途端に「プーッ」とやって、私の顔を上目遣いにじっと見る。こちらがどんな反応をするか窺っているのだ。「今日もデコピンをするのか、するならやってみろ!」といっているような顔つきだ。何とも大した度胸だ。こうなってはもう仕方がない。「プーッ」とやられても知らぬふりを決め込むしかない。






2001年6月6日(水)  その後の親子関係

●あれから、10日ほど過ぎた。私と息子の関係は幸いにも元に戻った。あれから3〜4日は母親が抱いているときに私が代わって抱こうとすると泣いていたが、一週間もたつとそんなこともなくなった。その間私はデコピンは一度もやってない。怖いのだ。

●5月27日の一件は息子の心の中に「このおやじは、いつもいつも優しいだけではないらしい。時には痛い思いをもたらすやつだ。」ということを記憶させたに違いない。しかし表面上は私に甘えている。私はというと、それまで以上に息子をいとおしく思い、子育てに励んでいる。そして今までとは接し方も微妙に変わってきた。

●物の本にはよく「0歳児からでも、本を読んで聞かせ、大人の言葉で話しかけるように」と書いてある。今回の一件で私にもその意味が分かったような気がする。息子はまだ「アー」とか「ウー」とかしか発音しない。「パパ」だの「ママ」だのはっきり言ったことはない。しかしそれは発音できないだけであって、私たちが言っていることはかなりの部分わかっているのではないか。何回も恐い顔で「ダメ」と言えばその意味するものはわかるだろうし、だからといって「ダメ」という言葉を本人は発音できない。そういうことだろう。だから成長して喉の機能が整ってしまえば、一気にいろいろな言葉を発音できるようになるのではないか?とするならば、本人が発音できないからといって親が「アー、ウー、バブバブ、ブーッ」といった赤ちゃんのレベルで接するのは貴重な時間を無駄にしていることにはならないか?この間子供の脳細胞は驚異的な速さで成長していると聞く。ならば大人が使う言葉で話しかけるべきであろう。少なくとも息子はいま「プーッ」という言葉で不満を表している。そのうち「いや」という言葉がそれに取って代わるだろうが、その言葉を教えるのは私たち親である。私たちが息子に不満の意を伝えるとき息子に合わせて「プーッ」と言っていてはいつまでたっても「プーッ」のままであろう。

●そのようなことから、ここのところ絵本を良く読んで聞かせ、親がうろ覚えの童謡をちゃんと歌えるように「童謡の本」を買ってきて各歌、1番だけでなく、2番も3番もちゃんと歌ってあげている。(ちなみに嫁さんは童謡をほとんど知らないので、もっぱら私が覚えている歌を真似して歌っている。)

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