夢の街のはなし


千賀泰幸


 ばくという動物は、夢を食べると言われています。

 ある街の動物園に、新しく、ばくが来ることになりました。小さな動物園で動物の数も少なかったし、みんなは、ばくという動物を見たことがありませんでしたから、みんなワクワクして待っておりました。
 「ばくというのは大きいのかな?」
 「鼻が長いのかもね。」
 「いや、たてがみがあるにちがいない。」
 「どんな声で鳴くのかな。」
 みんな、寄ると触るとばくの話でもちきりでした。大人も子供も、ばくのうわさをしました。その街は他の街から、ぽつんと離れていて、みんな淋しかったのでした。ところがある人が急に言い出しました。
 「ばくは、人の夢を食べるんだそうだ。」
 みんなはもうびっくりしてしまいました。そんな動物がこの世にいるとは、思ってもみませんでした。
 「夢って、寝てみるあれかい?」
 「きっとそうだよ。」
 「夢がみられなくなるんだ。」
 街中にこのうわさが広まると人々は大騒ぎしました。朝早くから、夜遅くまで大人も子供もまゆをひそめたり、身ぶるいしながらばくの話をしました。騒ぎは街の委員会に報告されて、委員会の人達は市長さんの所へやって来て、ばくの話しをしました。市長さんはとても困って、動物園の園長さんを呼びました。
 「ばくのことを、詳しく調べなさい。本当に夢を食べるのかどうか。」
 市長さんも実は自分の夢を食べられるのが心配でした。
 「ばくが夢を食べるのかどうか、調べて来なさい。」
 園長さんはばくの飼育係に決った人に言いました。園長さんも、やっぱり不安でした。
 飼育係さんは、遠くの町へばくのことを調べに行きました。
 一月たち、二月たっても飼育係さんは帰って来ません。みんなは心配し始めました。
 「どうしたんだろうね。」
 「もしかしたら、夢を食べるなんて、怪物かもしれない。」
 「飼育係さんは、怪物に食べられたのかも。」
 暗いうわさが街中でささやかれる様になった三ヶ月目に、やっと飼育係さんが遠くの町から帰って来ました。 遠い町への旅で、飼育係さんは乞食のようにボロボロの姿をしておりました。みんなは、大喜びで飼育係さんを迎えました。思わず涙を流す人もいました。
 「ばくは怪物じゃなかったんですか?」
 「怪物にやられませんでしたか?」
 飼育係さんはホコリだらけの顔で少しだけ笑って、すぐに市長さんの所へ、まず報告へ行きました。それから市長さんのとりはからいで、飼育係さんが街の真中にある広場で報告することになりました。
 「皆さん、私はばくのことを調べに行ってまいりました。とても辛く長い旅でしたが〈ここで飼育係さんは大きなため息をひとつつきました〉この目でばくを見て来ました。」
 広場に集まったみんなは、シーンと静まりかえりました。
 「ばくは怪物などではなく、おとなしい普通の動物でした。」
 みんなの中から驚きの声が上り、ザワザワとし出しました。飼育係さんはざわめきの中で声をはげまして言いました。
 「ところで、ばくが夢を食べるということについてですが。」
 街中が眠ったように静かになりました。ちょうどお昼でしたが、この日はサイレンを止めてありましたから、街中に飼育係さんの声しか聞こえませんでした。
 「ばくは夢を食べます。といっても安心して下さい。ばくが食べるのは、怖い夢や悲しい夢だけなのです。だからこの街にばくが来れば、みんな楽しい夢や、嬉しい夢ばかり見るようになるでしよう。」
 飼育係さんはとても早口で一息に言いました。すると、みんなの中から、
 「バンザイ!」
 という声が起きました。みんなにこにこしておりました。市長さんも、園長さんも笑っていました。こうして街はまた、もうすぐやって来るばくの話でもちきりになりました。


 そしてとうとうばくがやって来ました。動物園の一番真中の、日当たりのいいオリがばくのお家でした。街はお祭りで朝からパレードがありました。ばくをひとめ見ようと、街中の人たちが動物園に集まりました。ぞうやしまうまもばくのオリをみつめておりました。
 やがて、おめかしした飼育係さんが現われて、オリにかかったきれいな幕を落とすと、中には小さなばくが、ひとりいました。みんなは、ほうーと、ため息をつきながら、ばくをみつめました。たくさんの人や動物達にみつめられて、ばくははにかんだのかうつむいてしまいました。
 飼育係さんはとてもあわてました。そしてみんなに言いました。
 「あまりみつめないで下さい。ばくは夢を食べるくらいだから、とてもデリケートなんですから。」
 みんなはそれを聞いてなるほどと思いました。それでも残念そうに、振り返り振り返り帰って行きました。
 その夜、ばくは初めての場所でなかなか眠れませんでした。ばくはまだ小さかったのにひとりぼっちでした。
 その翌朝、一人の男の人が、目がさめてなんだかヘンな気がしました。いつもと同じような朝でしたが、ちよっとだけ違う感じがしました。それでもたいしたことではありませんでした。
 ところが二人三人とヘンな感じだという人が出て来ました。
 「なんかヘンなんですよ。」
 「どういうんですかねえ。」
 「見られてる様なんですよ。」
 「そうです、そうなんです。」
 「ええ、私も。」
 「眠っている時に。」
 みんななぜだろうと考えているうちに、ばくのことに思いあたりました。
 「きっとばくが見てるんですよ。」
 「怖い夢を見ないように。」
 「いや見たら食べちゃおうと思って。」
 みんなは夜になると落ち着かなくなりました。怖い夢をばくが食べてくれるのはいいのですが、ばくが食べる怖い夢がどんな夢か知りたくなってきました。そうしているうちに、こんなことを言う人が出て来ました。
 「私は昨晩とても悲しい夢を見ました。」
 みんなはびっくりしました。ばくは悲しい夢も食べてしまうはずです。
 「とても悲しい夢でした。死んだ娘の夢ですよ。でも娘と何年かぶりに会いましたよ。」
 悲しい夢を見たという人は、微笑みました。
 みんなは、ばくのことがわからなくなりました。ばくは本当に恐い夢や悲しい夢を食べるのか、それとも、もしかしたら夢なんて食べないのか。そして夢のこともわからなくなりました。何が怖い夢で、何が悲しい夢なのかわからなくなりました。みんなはいろいろ考えましたが、あまり深く思いつめないようにしました。あまり思いつめて、夢にでも見たら大変ですから。みんなはなんとなく心の中を、ばくにのぞかれているような気がしました。みんなはあまりばくのことを考えないようにしました。
 小さなばくは、ひとりぼっちでくらしていました。飼育係さんも動物たちも、ばくの前では心の中をのぞかれまいとするように、黙ってはにかんだように目をふせておりました。
 けれど、飼育係さんはやっぱりばくのことが放っておけませんでした。ばくのためにいろいろな苦労をして、ばくのことが好きになっておりました。それで飼育係さんは、ばくのことをいろいろ調べておりました。ところが大変なことを見つけてしまいました。
 「園長さん、大変です。」
 飼育係さんは園長室へ走り込みました。園長さんは、夢を見ないようにと、夜あまり眠っていなかったので居眠りをしていました。
 「どうしたんだね君。大声で。」
 「大変なことがわかりました。」
 「どうしたんだね。いったい。」
 「ばくが食べるのは、夜に見る夢ではなくて、願いだとか望みだったんです。」
 それを聞いた園長さんは一瞬キョトンとしましたが、すぐに真青になって気を失いそうになりました。けれどやっとのことで市長さんに電話で報告しました。
 その夜、市長さんの家で、市長さんと園長さんと飼育係さんの三人が会議を開きました。そして、ひとつのことが決まって、街中にそれをはり出すことになりました。そのはり紙には、こう書いてありました。
 『 夢について、寝て見る夢は勿論。将来の希望など、とにかく夢という夢はすべてないしょにすること。市長 』
 これを見たみんなは、すぐばくのことだと思いました。そして夢のことなど忘れたように、だれも、何も言わなくなりました。みんなは、なんとなく疑り深くなりました。
 みんなは自分の夢は、とても大切なものだと信じていましたから、夢を知られることはとても恐ろしかったのです。夢を失うことがとてもこわかったのです。きっとみんなそれぞれに大切な夢を持っていたのでした。
 ばくは、だんだんやせて、やつれて来ました。ばくを見つめてくれる人は、もう誰もいませんでした。ばくは淋しかったのでした。みんなは、やせていくばくをみて、夢が食べられていないためだと、ちょっぴり安心していました。そして街はますます静かになりました。


 ある黄昏時に、もう動物園が閉ろうとする頃、一人のちいさな女の子が、ばくのオリの前に立っていました。その女の子は、ぞうが大好きで、今日もぞうのことを見に来たのですが、ばくがなんだか淋しそうにしているのを見て、ばくのそばにやってきたのでした。女の子は、とてもやさしい子でありました。女の子は、オリの前にあるはり紙を見ました。はり紙は、子供でも読めるように、かなが振ってありました。女の子は、一所懸命それを見て、こっくりとわかったようにうなづきました。
 けれど、ばくは淋しそうにしていました。
 女の子は、しばらくちいさな頭をかしげて考えていましたが、やがてにっこりと微笑みながら、ばくにむかって、ちいさな声で言いました。
 「わたし、かんごふさんになりたいの。でも、ほんとうは、およめさんになりたいの。 だから、かんごふさんのほうの夢を、あげる。」
 女の子はそれだけいうとはにかんでほほをピンク色にそめて、はねるようにかけて行きました。
 ばくはその言葉を聞いて、しばらくぽんやりしていましたが、そのうちほろほろと涙を流しはじめました。ひとりぼっちで淋しかったり、悲しかったりすることになれてしまったばくは、もう泣くなんてことは忘れてしまったと思っていました。けれどもばくは、その夜一晩泣いていました。静かな夜に、ばくはひとりぼっちで、ほろほろと涙を流しておりました。


 それからしばらくして、ばくは遠くの町へ売られることになりました。街の人は、やっぱりばくといっしょにはくらせなかったのでした。自分の夢に息をつめさせて、うつむかせたくはなかったのでした。
 ばくが行ってしまう日、誰もが家の中で息をつめていました。
 ばくは、自分がやって来た時のパレードを思い出しました。そしてぼんやりと車につまれたオリの中から外を見ると、あの女の子が目に涙をいっぱいためて、ちいさな手に白つめ草で作った首かざりをしっかり握りしめて、立っておりました。
 ばくはそれを見ると胸がいっぱいになりました。それまでばくの胸はからっぽでした。
 「ぼくはね、夢なんか食べないんだよ。」
 ばくは、つぶやきました。そしてまた、ほろほろと涙を流しはじめました。
 「わすれないよ、きみのことは。 約束するよ、どこへ行っても、誰といても、きっときみのことを夢に見るよ。」
 ばくを乗せた車は、静かに動き出しました。遠い北の町へとばくをつれてゆくのでした。
 女の子は、目にいっぱい涙をためて、ちいさな足で立ったまま、ばくの行った方をながめていました。
 いつまでも、いつまでもながめていました。


「夢の街のはなし」 おわり



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