夜のかげろう
千賀泰幸
毛虫のおじいさんの村に、あれから何度目かの春が来ておりました。毛虫さんは、もうたいへん年をとっておりましたが、バッタ君達みんなにかこまれて静かにくらしておりました。
陽炎がゆれる静かな春の朝、一匹のかげろうの子が生まれました。
. 長い冬の間、かげろうの子は卵の中でじっと眠っておりました。卵の中からは外の世界は見えませんが、かげろうの子は、生まれた後の世界を夢みて眠っておりました。
かげろうの子を眠らせ、雪がこんこん降ったり、風がびんびん吹きました。
かげろうの子は、自分がどんな子供なのか知りません。けれどもお母さんのことを知っていました。お母さんの最後の言葉を憶えていました。
「強くて、やさしい男の子になれるんですよ。」
もちろん、卵の中にいたかげろうの子には、お母さんの姿も見えないし、声も聞こえません。けれど、かげろうの子は信じていました。お母さんは、かげろうの子が生まれる前から、とても愛してくれておりましたから。
こうして、かげろうの子は生まれました。生まれてすぐに目を開けると、やさしい陽の光が目に入りました。そして見上げると青い空がありました。かげろうの子は、思い切りのびをして羽をのばしてみました。空を飛んでみようと思ったのでした。はずみをつけて、目をぎゅっとつぶって、かげろうの子は羽を思い切りはばたかせました。ふと体が軽くなって、たしかにかげろうの子は空を飛びました。
「飛べた!」
かげろうの子は、嬉しくなって目をパッと開きました。
果てしない空が、小さなかげろうの子におおいかぶさってるような気がした瞬間、かげろうの子は、くらくらとしてすぐに地面に降りてしまいました。胸はどきどきして、頭はぐるぐるしています。かげろうの子は息もできないほどおびえていました。他の虫にはなんでもないことが、小さなかげろうの子にとっては、怖ろしいことでした。そうです。かげろうの子は、臆病だったのです。かげろうの子は、しばらく息がつまってなにがなんだかわからないような顔をしていましたが、そのうち、しかたなくのそのそ歩きはじめました。南をむいても北をむいても、かげろうの子はひとりぼっちでした。
ひとりで野原を歩いていると、むこうから木の葉だらけの虫が来ました。かげろうの子はもうびっくりしてしまいました。臆病なかげろうの子はとても怖くなりました。
みの虫君はむこうから小さなかげろうの子が歩いて来るのを見つけて、その子が自分を怖がっているのに気がついてにが笑いしながらも、やさしくいいました。
「こんにちは。」
かげろうの子はなにもいえません。なにかあいさつしようと思いました。でも言い出せません。
みの虫君はやっぱりにが笑いを浮べながら、かげろうの子に話しかけました。
「かげろうだね? きみは。」
かげろうの子は、やっと小さくうなずきました。
「そうか、かげろうの子か。」
みの虫君は、ちょっぴりその子が可愛くなりました。はにかみながらも、みの虫君を一所懸命みつめておりましたから。
「いい子になりなさい、ね。」
みの虫君は、そういうとかげろうの子の頭を、そっとなでて歩いて行きました。
かげろうの子は、しばらくみの虫君の背中をみつめておりました。みの虫君はふと振り返って、微笑みました。かげろうの子は、それを見てちょっぴり微笑みました。かげろうの子は、みの虫君に 生まれて初めての微笑みを教わりました。そしてお母さんの言葉を思い出しました。
「強くて、やさしい男の子になれるのですよ。」
かげろうの子は、だいぶ元気になって、どんどん歩いて行きました。やさしい春の陽が、かげろうを見つめておりました。
かげろうの子は出会った人達、トノサマバッタ君やコオロギ君にあいさつが出来るようになりました。みんなは、明るくあいさつしてくれて、かげろうの子だと知ると、なぜだかとてもやさしくしてくれました。かげろうの子は、最初はとても嬉しく思っていましたが、みんながあまりにやさしくしてくれるのが不思議に思えて来ました。そして思いました。
「もしかしたら、ぼくが弱い子だからみんなやさしくしてくれるのかしら。」
かげろうの子は、淋しく思いました。
かげろうの子の生まれて初めての夜が、そこまで来ていました。黄昏がかげろうの子を、やさしく静かに包みはじめておりました。
かげろうの子は、なずなの花の下にいました。微かな風がなずなをゆらすと、なずなはなつかしいような不思議な歌を奏でるのでした。かげろうの子は、その歌を聞いていると、なんだかホッとするのでした。
なずなの花と、白つめ草の間に小さな水たまりがありました。なずなが微かに歌うと、水たまりもゆれました。
かげろうの子は、生まれて初めて見たことばかりで、なんだか頭がぐるぐるしておりました。ぼんやりと歌を聞きながら、水たまりをながめておりました。
その時、水たまりの中で何かが光りました。かげろうの子は、ビクッとしました。恐る恐る水たまりの中をのぞきこもうと近づくと、また何かが光りました。かげろうの子は怖くなりましたが、背中から聞こえて来るなずなの歌に、勇気づけられたように、水たまりの中をのぞきこんでみました。
水たまりの深い所に、何かきらきらしたものがありました。それはとてもなつかしいような、淋しいような光でしたが、かげろうの子をやさしく静かな気持ちにさせるような光でした。
「こんにちは。」
かげろうの子は、ちよっぴり震える声で、たったひとつ知っているあいさつをしました。けれども、何の返事もありません。かげろうの子は、はじめ息をつめて見つめていましたが、やがてやさしい気持ちでみつめはじめていました。なんだか水たまりの中のきらきらした光も、自分をみつめてくれているような気がしました。
春の黄昏の一番星が、水たまりの中へ映っていることなど、かげろうの子は知りませんでした。かげろうの子は、まだとても小さかったし、こんなにやさしく素直な気持ちになったのは生まれて初めてでしたから。 その夜は、空いっぱいの星の夜でしたが、かげろうの子には、水たまりの中のきらきらした光しか見えませんでした。お月様も、なんにもいわずに、かげろうの子をみつめているだけでした。かげろうの子は、静かに光をみつめておりました。
夜が明けて来て、朝もやが静かに舞いはじめた頃、水たまりの中のきらきらした光は、すうっと消えました。
かげろうの子は、びっくりして、それからなんだか淋しい気持ちになりました。水たまりの周りをうろうろしてみましたが、水たまりは昇りはじめた太陽に、ほほをそめている空の色をうつしているだけでした。
かげろうの子は、切なくなりました。自分がどこへ行ったらいいのか、自分のゆくへがどこなのかわからなくなったような気がしました。
「また会えるかなあ。」
かげろうの子は、心配顔でそう言うと、振り返り、振り返りなずなの林を通り抜けて行きました。かげろうの子は、しょんぼりしながらもどんどん歩きました。とうとうその小さな野原のはずれまで来てしまいました。
「おはよう。」
急に声をかけられて、かげろうの子はうつむいていた顔をあげました。
「おはよう、いいお天気だね。」
バッタ君はにこにこしながら話しかけました。
「おはよう。」
かげろうの子は、今までとても淋しかったので、嬉しくなって顔を輝かせて答えました。
「きみは、かげろうだね。」
バッタ君は静かにいいました。
「ええ、そうです。ぼくはかげろうです。」
「そう、いい子だね。もっともっといい子になれるよ。」
「ありがとう、ぼくのお母さんもそういうんです。強くてやさしい男の子になれるよって。」
かげろうの子は、ちょっぴりおしゃべりになっていました。
「そう、早くなれたらいいね。早く。」
「はい、でも、みんなそういってくれるんです。どうしてですか、みんなぼくがかげろうの子だってわかると、なんだか淋しそうな顔をして、そしてとてもやさしくしてくれるんです。あの、ぼくは、弱虫なんですか?」
「いや、きみは弱虫なんかじゃあないんだ。ただねえ。ぼくらもついこのあいだまでは、きみと同じようなものだったんだけどね。その。」
バッタ君の困った顔に、かげろうの子は首をかしげました。
「その、なんていったらいいのか、とにかくきみは弱虫なんかじゃない。ただきみには、そのね。弱ったなあ。」
バッタ君は、とても困ってしまいました。こんな小さな子に、『かげろうは三日で死んでしまう。そういう運命なんだ。』とは、いえませんでした。知らないほうが幸福なのかもしれないと思いました。かげろうの子は、暗い顔をしていました。かげろうの子には、わからないことばかりでした。かげろうの子は、バッタ君をみつめました。
バッタ君は、考えこんでしまいました。そして、お父さんのことを思いました。冬が来れば死んでしまう運命の中で、一所懸命生きて、秋の最後に音楽会で歌って死んでいったお父さんを。お父さんの運命は悲しかったけれど、お父さんが不幸だとは思えませんでした。
しばらくうつむいていたバッタ君は、思い切ったようにいいました。
「このれんげ草の道をまっすぐにいって、たんぽぽの花のところで左にまがると、毛虫のおじいさんの家がある。そこに行けば、毛虫さんがきみのことを、きみにわかるように話してくれるだろう。いい子になるんだよ。早くね。」
そういうと、バッタ君は背中をむけて家の方へ歩いて行ってしまいました。
かげろうの子は、しばらくそこにたたずんでいましたが、やがてれんげ草の道を歩き出しました。微かな風がかげろうの子の背中をなでました。あの時から一度も飛んだことのない、かげろうの子の羽を震せて、風はたんぽぽの別れ道のところを吹き抜けて行きました。
「こんにちは。」
重そうな戸の前に立って、かげろうの子はちいさな声でいいました。やっぱり臆病な子のままでした。
「おはいり。」
家の中から静かな声がしました。かげろうの子は、恐る恐る中へ入って行きました。暗い部屋の中に、毛虫さんは座っていました。昔、くもさんの針に使っていた毛にも、もうつやがなくなってしまいましたが、毛虫さんは元気でした。
「あの、ぼくのことを教えてほしいんです。」
「きみは、かげろうの子だね。」
「はい、あの、バッタさんから、毛虫さんならぼくにわかるように、ぼくのことを教えてくれるだろうって聞いたんです。」
「そう、バッタ君がね。」
「教えてくれますか?」
「まあ、とにかくお座りなさい。」
毛虫さんは、かげろうの子をくもさんの使っていた椅子に座らせて、お砂糖のたっぷり入ったお茶をすすめました。そして、かげろうの子をみつめたまま、じっと考えこんでいましたが、やがて首を振って、思い切ったようにいいました。
「きみは、いつ生まれたのかな?」
「きのうです。」
「そう、きみは、運命っていうことは、わかるかしら。」
「運命?」
「あのね、生まれてから死ぬまでを一生といってね、そのあいだに起こること、嬉しいことも悲しいことも、どうしょうもないことが多いんだけどね。それを運命というんだけどね。」
「はあ、そうなんですか。」
「そして、たとえば、長く生きるもの、短かくしか生きられないもの、それも運命なんだよ。」
「はあ。」
「長ければ、長いほどいろんな悲しいこともある。いや長くても短かくても同じだよ。」
毛虫さんは、ひとりごとのようにいって、そしてかげろうの子の瞳をみていいました。
「きみは、とても短かい一生を生きる運命に生まれてきたんだよ。」
「短かいんですか?」
かげろうの子は、よくわかりません。けれど体が震えるほど驚きました。
「だから一所懸命生きられるようになりなさい。強くてやさしい男の子に早くなるんだよ。」
毛虫さんは、かげろうの子の肩に手をおいていいました。
「強くてやさしい男の子。どうしたらいいんですか?教えて下さい。どうしたらなれるんですか?お母さんにもそういわれました。でもわからないんです。教えて下さい。」
かげろうの子は一所懸命でした。こわれそうな瞳で毛虫さんをみつめました。毛虫さんは、かげろうの子の手をとっていいました。
「強くてやさしくなるためにはね。そう、なにか大切なものをみつけることだよ。だれかでもいい。なにかでもいいんだ。人は自分の一番大切なもののためには、とても強くなれるからね。」
「大切なだれか。大切な何か。みつかりますか? ぼくにも。」
「みつかるよ。みつけるんだ。素直な気持ちでみつけてごらん、きっとみつかるよ。」
「はい、でも………。」
「私でよければいつでもおいで、いつでも待ってるよ。」
「ありがとう。これから探してみます。」
かげろうの子はそういうと、振り返えらずに毛虫さんの家から出て行きました。
毛虫さんは、かげろうの子の後姿をみて、ひとつ、ふたつため息をついてうつむきました。
「なにがみつかるんだろうか?」
毛虫さんはつぶやきました。毛虫さんは思いました。バッタ君達のお父さんは、大切なものの証しとして音楽会で歌いました。くもさんはバッタ君達の運命を変えることが、いえバッタ君達のことを思うことが大切なことで、そのために生きました。
「私の大切なものは、今はなんだろう。」
毛虫さんは、ふと怖くなって来ました。いろいろな思い出が、毛虫さんを包んでいました。
「強くてやさしくならなければいけないのは、私なのかもしれない。」
毛虫さんは、そうつぶやいて遠くをみるような目をしました。
家の前のタンポポには、もう白い小さな女の子たちが生まれていました。
かげろうの子は、もとの野原に立たずんでいました。
「ぼくには、いったい何が大切なんだろう。」
いろいろ考えてみました。お日様はちょうどかげろうの真上にありました。野原にはゆらゆらと陽炎が燃え上がっておりました。静かな春の昼下がりでした。れんげ草や白つめ草は、微かな風にゆれておりました。
「ぼくは、どうすればいいんだろう。」
かげろうの子は、あまりはりつめた気持ちでいて息もつまりそうになっておりました。
「ぼくはどうしようもないのかしら。どんなにがんばっても飛べないし。きっと弱虫なんだ。ぼくはひとりぼっちだから、大切なものなんてないんだ。もしも大切なものがみつかってもだめなんだ。きっとそうなんだ。強くてやさしくなんてなれないんだ。」
かげろうの子の心は、暗闇につつまれそうでした。かげろうの子は、ブツブツいいながら、いつか昨夜の場所へむかって歩いておりました。飛べないかげろうの子には、とても長い道のりでしたが、かげろうの子は、なぜか昨晩の場所へ行きたかったのです。
途中で、みの虫君やバッタ君に会いましたが、肩を落としてうつむいたまま、あいさつもできませんでした。
「毛虫さんは、話したんだろう。かげろうの運命は、どうしようもないからな。」
みんなは、消えてなくなってしまいそうなかげろうの子の後姿をみて、そっとため息まじりに思いました。バッタ君達にとっては、お父さんのことが思われて、かげろうの子の姿がいっそう悲しく見えました。
そろそろ黄昏があたりを包みこんだ頃、昨日と同じ所にかげろうの子は立たずんでいました。微かな風は、白つめ草をゆらし、なずなをゆらして、不思議な歌を奏でました。
かげろうの子は、すいこまれるように、昨日の水たまりをみつめておりました。降りて来た黄昏のべールを映して、水たまりは鏡のように光っていました。
「また会えるかな?」
そう思うと暗闇になったはずの、かげろうの心はちょっぴりときめました。
「もう会えないのかな?」
そんな思いを振り払うように、かげろうの子が頭を振った時、水たまりの中にひとつぶの光が生まれました。
かげろうの子の胸に、なんだかわからない気持ちが、うずうずとこみあげて来ました。思わず息をつめて、かげろうの子はみつめます。水たまりの中の光は、すんだ瞳でかげろうの子をみつめてくれてるようでした。
「こんばんは。」
かげろうの子があいさつしても、やっぱり黙ってみつめてくれるだけでした。けれどもそれだけでかげろうの子はホッとしました。なずなの奏でる歌が、かげろうの背中から聞こえます。かげろうの子は、だんだん元気になれそうでした。かげろうの子は、水たまりの中の光だけをみつめて、光もやっぱりかげろうの子だけをみつめているようでした。
「どうしてだろう。どうでもよかったぼくなのに、なんだかとっても強くてやさしい男の子になりたくなる。不思議だね。」
かげろうの子はつぶやきました。水たまりの中の光はかげろうの子の言葉に微笑んだようにみえました。
そしてかげろうの子は、一晩中水たまりのそばにいました。ただそばにいるだけで、かげろうの子は幸福でした。白つめ草となずなと微かな風がかげろうを見守っていました。
そうして朝が来ると、やっぱり水たまりの中の光は行ってしまいました。
「強くてやさしい男の子になるんだ。」
かげろうの子は、そうつぶやくと毛虫さんの家へむかって歩き出しました。
けれどなぜか、体が重くてなかなか進めません。
「どうしたんだろう。昨日までもっともっと速く歩けたのに。」
かげろうの子は、不思議に思いましたが、ひたすらに毛虫さんの家へむかって苦しみながら歩きました。毛虫さんの家についたころは、もう昼下がりでした。
「毛虫さん教えて下さい。なにが大切なのか。ぼくの大切なものは何ですか? どうすれば、強くてやさしい男の子になれるんですか?」
毛虫さんは、やつれはてたかげろうの子の姿をみておどろきました。
「そうか、今日が三日目なんだ。」
毛虫さんは、いたたまれなくなりました。けれど毛虫さんも、大切なものをみつけられそうだったのです。
「大切なものがあれば、強くてやさしくなれるっていったはずだね。」
「はい。」
「大切なものとは、愛せるもののことなんだよ。誰かでもいい。何かでもいいんだ。そしてそれを一所懸命に愛すから、一所懸命生きられる強くてやさしい人になれるんだ。」
毛虫さんは、かげろうの子の瞳に映った自分にいいました。
「愛せるもの、それはどんなものですか。」
「失えないものさ。かけがえのないものだよ。選ばなければ失ってしまうのさ。素直になれたり、やさしい気持ちになれたりするものだよ。」
「ぼくにも会えますか?」
「そんな出会いは、そう何度もないさ。一生に一度かもしれない。一生めぐり会えないかもしれない。一生が長くても短かくても同じだよ。だからきみもみつけるんだ。それが運命だよ。」
かげろうの子は自分の瞳の中をみつめてみました。かげろうの子の瞳には、たくさんのものが閉じこもっていました。しばらく考えこんでいたかげろうの子は、さっと顔をあげました。
「そうか。わかった。わかりました。」
そういうと、かげろうの子は外へ飛び出しました。そうして思い切り駆け出しました。
かげろうの子に、いえ、かげろうにとっては、もう水たまりの中の星だけがすべてでした。星さえそばにいてくれればいいと思いました。
「きみだよ。ぼくにはきみしかいないよ。」
かげろうはつぶやきましたが、息は荒く、かすれて声になりませんでした。
かげろうは、いつか空を飛んでいました。あれほど怖かった空も、もうかげろうには、なんでもありませんでした。ただひたすらに水たまりの星へむかって飛びました。
黄昏のべールは、そこまで来ていました。やっと、なずなと白つめ草が見えた時、かげろうは、水たまりがなくなってしまいそうなのに気がつきました。毎日の良いお天気で、水たまりは、小さくなっていたのでした。
かげろうは、空の上でまっくらな気になりました。その時、小さな水たまりの中で、小さな星が光りました。とても小さな光でしたが、かげろうにはたしかに見えました。かげろうはまっしぐらに水たまりの場所へ降りて、地面にしっかりと立って星をみつめました。星もかげろうをみつめました。
かげろうは、星にやさしく微笑んで、そうしてそのまま息をひきとりました。
なずなの歌が悲し気に流れはじめ、お月様がうつむいた顔をみせました。
、春の夜がふけはじめました。
かげろうの体は、ゆらゆらと空へむかって昇って行きました。あの一番星の所へとゆっくり昇って行きました。
あとを追ってきた毛虫さんは、かげろうを見ました。そうしてかげろうを見送りながらいいました。
「陽炎のようだよ。きみは。きみは強くてやさしい男の子だったよ。」
毛虫さんは、またひとつ悲しみを知りました。けれどもそれは不幸なことではありませんでした。
毛虫さんがたたずむその上の、果てしない空に、星だけがきらめいて、きらめいて。
「夜のかげろう」 おわり
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