神様になったくも


千賀泰幸



  冬の静かな夜にはこんな話があります。

  ある所に虫の村がありました。人間の町があるのですから、虫の村もあります。そのかわりにとても遠くて、誰も知らない所にありました。そして、そこにくもの仕立屋さんがおりました。この仕立屋さんは8本の手足を使い、上等の糸で仕事をするのでたいそう繁盛していました。けれどもくもは、もうおじいさんでした。

  くもさんは、早く隣り村の息子に後を継がせたいと思っていました。くもさんのひとり息子は山を越えた隣村でやっぱり仕立屋をやっておりました。年をとって仕事が辛くなって来たくもさんは、毎日の様に息子のことを思ってくらしていました。

  くもさんの村は静かな村でした。この村に今、秋が来ておりました。静かな秋が来ていました。

  或る日くもさんの所に一通の手紙が来ました。持って来てくれたのは、郵便屋のバッタ君でした。
 「おじいさん、息子さんからの手紙ですよ。」
 くもさんが手紙を待っていたのを知っていたバッタ君は、にこにこしながら手紙を渡しました。もらったくもさんも、てれながらにこにこして読みはじめましたが、ふとくすくす笑い出しました。バッタ君はびっくリりしてしまいました。くもさんの目から涙が流れていましたから
 「どうしました?くもさん。」
 「いや、なに、そのね。息子は元気でやってるんだけどね。あの忙しいらしくてね。孫もいるんだけど、可愛くってね。これが。いや、それでこっちには帰れないんだそうだ。」
 くもさんは、木枯しのように笑うとそっと涙をふきました。
 バッタ君は、やさしいくもさんが淋しそうにしているので悲しくなりました。けれども何といったらいいのかわかりませんでした。
 「くもさん、あの」
バッタ君はちょっぴりためらいましたが、まつ毛をふせながらいいました。
 「くもさん、音楽会には来て下さいね。ぼくが指揮をやるんですよ。」
 そしてにっこり笑うと、とても急いでいる様に走っていってしまいました。
 くもさんは、バッタ君の後姿をぼんやりと見送りました。バッタ君が見えなくなっても、ぼんやりと立っていました。
 「どうしたんだい?」
 家の中から声がかかって、くもさんは我にかえりました。空いっぱいの秋はもう黄昏はじめていました。
 「どうしたんだい。中におはいりよ。」
 声をかけてくれるのは、くもさんといっしょに住んでいる毛虫のおじいさんでした。くもさんは、毛虫さんの毛を針に使っていました。
 「ああ」
 くもさんは、振りむいて暗い部屋に入りました。冷たくなった秋風が、くもさんの背中をたたきました。部屋の中はあたたかく思えませんでした。
 「あのね。息子は帰って来られないんだと。」
 くもさんは、てれたように目をふせながら毛虫さんにいうと、誰にも聞こえない様なちいさなため息をひとつつきました。
 「そうかい。」
 毛虫さんも目をふせて、くもさんよりもっともっとちいさなため息をつきました。毛虫さんもやっぱりひとりぼっちでした。
 その夜二人は、いつものとおり食事をしましたが、お互いに何もいえずにいました。まるで二人で顔を合わせているのが辛いように、いつもより早く二人は床に入りました。
 けれどもいつまでたっても眠れずにいました。二人とも横になったまま、ちいさいため息をくりかえしていました。そしてとうとう、くもさんが起き上がりました。
 「ねえ、毛虫さん。」
 「ん? なんだい。」
 毛虫さんも起きあがりました。
 「いや、その。」
 「残念だね。あの、息子さん。」
 「いやあ、別に、半分あきらめていたからね。」
 「とにかく、息子さんも幸福そうだということなんだよね。」
 「そうそう、ありがたく思わなきゃね。」
 くもさんと毛虫さんは、そういってちょっと笑いました。けれどすぐまた黙ってしまいました。
 「ねえ、毛虫さん。」
 二人がまた横になった時、くもさんがかすれた声でいいました。
 「私なんか、これから誰のことを夢にみて、誰を思ってくらしたらいいのかねえ。」
くもさんは、毛布をかぶりました。けれども、毛虫さんはもう眠ってしまったらしく、何も答えてはくれませんでした。
 夜はくもさんをひとりぼっちにして、ふけてゆきました。

 翌日も、昨日と同じ高い秋空の日でした。くもさんも、毛虫さんも、何もなかったような顔をして黙っておりました。くもさんは、朝早くから忙しそうに仕事をしていました。誰でも、悲しいことや、切ないことがあった時には、何かを一所懸命にやるものです。毛虫さんも、朝のお茶の時にくもさんに自分の角砂糖をひとつだけわけてあげた他は、いつもと同じように静かにしていました。

 昼下がりの秋の柔らかい日差しが木の葉にあたるのを、くもさんと毛虫さんがぼんやりとながめていると、みの虫君がやって未ました。みの虫君は冬を越すための蓑を、くもさんにつくろってもらうのです。
「こんにちは、おじいさん。」
 みの虫君は、とても陽気な青年です。ぼんやりしていた二人は、急ににこにこしはじめました。今まで黙っていた二人が、なんだかおしゃべりになりました。
 「やあ、みの虫君。今年は早いね。」
 「いつもよりちよっぴりだけどね。」
 「元気にしてたかい?」
 「木の葉がきれいになったよねえ。」
 「星が遠くなってきたよね。」
 二人のおじいさんに矢つぎ早に話しかけられて、みの虫君はちょっぴりドギマギしましたが、二人のにこにこした顔を見て明るくいいました。
 「二人とも元気そうですね。くもさん、今年もよろしくお願いしますよ。」
 「いいとも、いいとも。」
 くもさんは明るくそういって毛虫さんを見ました。毛虫さんもにっこりうなずきました。
 「どうだいみの虫君、お茶でも。」
 「どうも、ごちそうになります。」
 三人は秋の日差しの入って来る部屋に入りました。毛虫さんがお茶の用意をしている間、みの虫君は最近聞いた世間話を、おもしろおかしく始めました。
 お茶を飲み始めてひと息ついたころ、みの虫君はちょっと口調を変えて話し始めました。
 「ところで知ってますか?音楽会のこと。」
 「ああ、今年はバッタ君も誘ってくれたことだし、久しぶりに二人して出かけようと思っているんだよ。」
 「ええ、その音楽会のことですけどね、今年は早くなりそうなんですよ。私もつい先日聞いたんですけどね。」
 「早くなる? それはまたなぜだい?」
 「今年は冬将軍のお出ましが早そうなんでね。村長のトノサマバッタがいってましたよ。『音楽会の前にみんなが死んでしまっちゃ話にならない』ってね。」
 「そうか」
 おじいさん達はため息まじりにいいました。
 秋の音楽会というのは、虫たちが年に一度だけみんな集って合唱するお祭りです。それは冬が来れば死んでしまう虫たちの、最後に奏でる曲でもありました。そして音楽会がおわれば、冬になってしまうのでした。虫たちの声の無い冬になるのでした。
 くもさんも、毛虫さんも、みの虫君もみんな黙りこんでしまいました。みんな各々にいろいろな思いを抱いていました。
 「おっと、よけいな油を売ってしまった。」
 みの虫君があわてたように言って立ちあがりました。
 「どうもごちそうさま。それじゃあよろしく頼みます。あの、良かったらぼくも音楽会へいっしょに行かせて下さい。」
 「ああそうしよう。さようなら。」
 くもさんと毛虫さんもゆっくりと立ちあがってみの虫君を戸口まで送りました。
 みの虫君が帰ってしばらくして、晴れていた空がぼんやりと曇って来ました。そうして夜になると冷たい雨がしんしんと降って来ました。
 「雨だね。」
 「そうだね。」
 「冷えるね。」
 「そうだね。」
 冷たい雨は一晩中降りつづきました。
 それからしばらくして、音楽会の日がみんなに伝えられました。いつもの年よりも早い音楽会でした。音楽会までの間、くもさんも毛虫さんもいつもと同じ様に、つまりくもさんは一日に10回はお茶を飲んで、毛虫さんは一日中パイプをふかしてくらしていました。
 村は音楽会のうわさでもちきりでした。指揮者のバッタ君などは、どこの家でも歓迎されました。みんなは音楽会をとてもたのしみに待っていたのでした。
 いよいよ音楽会の夜がやって来ました。空いっぱいの星の下で音楽会は始まりました。くもさんも毛虫さんもみの虫君も、みんなも来ておりました。
 バッタ君をはじめとして、松虫、鈴虫、くつわ虫にこおろぎ、うまおい君たちもいます。みんながみんな一所懸命に歌います。
 みんなはとても一所懸命だったので、みんなはとても美しかったのです。
 月が傾きかけた頃、音楽会は終りました。
 みんなは各々の家へ、いろんなおしゃべりをしながら帰って行きました。
 くもさんと毛虫さんは、黙って月夜の道を歩いておりました。
 「月がきれいだね。」
 「ああ、まんまるだ。」
 「こんな歌を知ってるかい? 『ぼくが月を見ると、月もぼくを見る。神さまぼくをお守り下さい。神さま月をお守り下さい。』って。」
 「神さま月をお守り下さい、か。」
 くもさんはため息まじりにいいました。
 「運命なんだね。」
 毛虫さんがぽつりといいました。
 二人はバッタ君たちとお別れするのが悲しかったのでした。二人ともみんなが大好きなのでした。二人は蒼くのびた月夜の道をゆっくりと帰って行きました。


 その翌日も素晴らしくいいお天気でした。真っ赤に染まった木の葉に柔らかな秋の陽がさしておりました。
 「おはようございます。」
 みの虫君がにこにこしながらやって来ました。昨晩帰りがおそかったので久しぶりに朝寝坊をしてしまったくもさんは、朝のお茶の用意をしているところでした。毛虫さんも目ざめのパイプにタバコをつめていました。
 「おはよう。」
 くもさんも、毛虫さんもにっこり笑ってみの虫君にあいさつしました。
 「なんだか音楽会が終ると、本当にすぐ冬みたいな気がしますね。」
 「そうだね、今もくもさんとそろそろ冬じたくをしなけりゃといってたところさ。」
 「ところでくもさん、ぼくの冬じたくはできてますか?」
 「ああ、もうできあがってるよ。」
 みの虫君のお茶を持って来たくもさんが、にっこりといいました。
 「昨晩は、その、よかったね。」
 毛虫さんがゆっくりと煙を吐いて、みの虫君にいいました。
 「ええ、みんな一所懸命でしたからね。」
 「そうだね。みんな本当に一所懸命だったね。」
 「はい、おまちどうさん。」
 くもさんがきれいにつくろった蓑をみの虫君へ渡しました。
 「いやどうもすみません。 この蓑のおかげで冬が越せるもんですから。」
 「けど今年は冬が厳しそうだから、私にもひとつ蓑を作ってもらおうかな。」
 毛虫さんが笑いながらいいました。くもさんも笑いました。
 「そうだね、私達も蓑があれば楽に冬が越せるかもね。蓑があれば誰だって。」
そういってくもさんはハッと気づきました。
 「そうだ、どうして今まで気づかなかったんだろう。蓑だよ。蓑があればバッタ君達も冬が越せるかもしれない。」
 毛虫さんもみの虫君もびっくりしましたが、くもさんの話を聞いて、なるほどと思うとなんだかワクワクしてきました。
 そしてそれからすぐに、お茶をぐいっと飲みほして、ちいさな野原のすみにあるバッタ君の家へ行きました。
 バッタ君は、もうびっくりしてしまいました。
 「冬が越せるんですか?ぼくが? ぼくが?」
 バッタ君は、もうあきらめていたのでした。そのための音楽会はもう終っていましたから。 そのバッタ君に、くもさんと毛虫さんとみの虫君が、かわるがわるに説明しました。
 「とにかく私が蓑を作るよ。なに、すぐできるさ。」
 くもさんは、もうにこにこ顔でいいました。
 「冬が越せるのかあ。」
 バッタ君は、まだぼんやり顔でいいました。
 「それなら春が見れるのか。」
 バッタ君は目がさめたような顔で、くもさんにいいました。
 「それなら、春が見られるんですね。」
 くもさんは、びっくりしてうなずきました。
 「そうか、春が見られるのか、そうか。ぼくは夏になって生まれたんで、春を見たことがないんですよ。春か。いろんな花が咲くんですってね。春か。とても素敵なんですってね。」
 くもさんも毛虫さんもみの虫君も、なんだか胸が熱くなって来ました。
 「そうだよ。とても素敵だよ。春って。」
 毛虫さんが静かにいいました。
 「あのう。」
 その時、今まで黙っていたイナゴ君がおずおずと口を出しました。バッタ君のイトコのイナゴ君が、最後のお別れをいいに来ていたのでした。
 「その、よかったら、ぼくの、あの、蓑も作っていただきたいんですけど。」
 「いいとも、いいとも。」
 くもさんは目を細めながらいいました。
 イナゴ君は飛びあがって喜びました。そしてバッタ君と二人で大はしゃぎしました。
 二人がはしゃいでいるのをにこにこしながら見ていたくもさんは、ちょっと厳しい顔をして
いいました。
 「さて、そうと決れば早い方がいい。さっそく作りはじめることにしよう。」
 毛虫さんもうなずきました。
 「よろしくお願いします。」
 バッタ君とイナゴ君は、頭をペコリとさげていいました。くもさんと毛虫さんとみの虫君は晴れやかな顔をして家を出ました。
 「くもさん。」
 みの虫君が赤くなりながらいいました。
 「私の口からいうのもなんですけど、その、よろしくお願いします。」
 「はい、はい。」
 くもさんは明るく笑いながらうなずきました。毛虫さんも微笑んでうなずきました。自分の毛が何本抜かれてもいいと思っておりました。
 みの虫君と白菊の丘で別れて、くもさんと毛虫さんはウキウキとした歩どりで帰って行きました。そしてさっそく二人で持てるだけの木の葉を集めました。
 その夜、二人はワクワクしてなかなか寝つかれませんでした。細いお月様が空にゆれておりました。


 翌日、がやがやという虫達の声で、二人は目をさましました。まだお日様が登りきっていないような早い朝でした。
 くもさんと毛虫さんは何だろうと思って戸を開けてみると、家の前にはこおろぎ君や鈴虫君たちがいっぱい来ていました。
 「どうしたんですか?いったい。」
 くもさんはびっくりしていいました。くもさんと毛虫さんが出て来たのを見て、みんなは口々にいいました。
 「ぼくにも蓑を作って下さい。」
 「ぼくにも。」
 「私にも。」
 くもさんは二度びっくりしました。どうしてみんなが蓑のことを知っているのか、わかりませんでした。
 実はみんなは、はしゃいでいるバッタ君とイナゴ君に会ったのでした。バッタ君が夢みるように、
 「春が見られるんだ。」
 というのを聞いたコオロギ君が、くわしい話を聞いて、それがみんなに広まったのです。
 みんながみんな、もうあきらめておりました。そのための音楽会はおとといに終ったのでした。けれどもやっぱり望みがあると思うと、もういても立ってもいれなくて、誰からともなくこうしてくもさんの家にやって来たのでした。
 みんなは一所懸命でした。まるでこわれそうな瞳をしておりました。
 くもさんと毛虫さんは顔を見合せました。
 みんなの声は、悲鳴のようにも聞えました。
 「わかりました。」
 くもさんが大声でいいました。
 「約束します。みんなの蓑を作りましょう。」
 みんなはそれを聞いてホッとしましたが、今度は、先に自分の蓑を頼もうと大騒ぎになりました。
 その時です。今まで静かにみんなをみつめていた村長のトノサマバッタが大声でいいました。
 「ちょっと待ってくれ、私の話を聞いてくれ。」
 みんなはトノサマバッタを一勢に見ました。
 「私の話を聞いてほしい。私達はすべてのための音楽会も終って、本当ならばこのまま死んでゆくはずなのだよ。」
 「だから蓑がほしいんだ。」
 うまおい君が叫び、みんなも叫びました。
 「待ってくれ、聞いてくれ。たしかに蓑があれば、私達の運命が変わるかもしれない。けれども、みんながみんな運命が変わるわけじゃないとしたらどうだろう。」
 みんな黙りこみました。
 「もし、誰かの蓑ができた時に冬が来てしまったら、それから後の順番の者は、どうだろう。」
 トノサマバッタは、みんなの顔をゆっくり見渡しながら続けました。
 「そうなれば、残る者にも逝ってしまう者にも悔いが残るんではないかな。」
 みんなは、静まりかえってトノサマバッタの話を聞いておりました。
 「そこでどうだ.ろう。みんなでいっしょに、この運命の変化に乗ろうじゃないか。もし運命が変わるとしたら、みんな同時にそれを受けようじゃないか。」
 「それは、その、どういうことですか?」
 今まで黙って聞いていたくもさんがたずねました。
 村長のトノサマバッタは、くもさんの方を向きました。
 「つまり、ここに47匹の虫がいます。みんな一度は自分の運命をいっしょに知った仲間です。 もちろん私も。だからみんなでいっしょに蓑を着たいんです。47着の蓑ができた時、はじめて蓑を受け取りたいんです。」
 みんなの中から拍手が起こり、みんながみんな拍手しました。
 「どうでしょう、くもさん。47着お願いできますか?」
くもさんは考えました。もし間に合わなかったら…。けれども、これができるのはくもさんひとりでした。
 「わかりました。引きうけましょう。でもバッタ君はそれでいいのかな?。」
 「ぼくひとりで春を見てもしようがありませんよ。」
 バッタ君はにっこり笑いました。イナゴ君も隣りでうなずきました。
 「そうか、わかった。わかりました。」
 くもさんは、しっかりとうなずきました。その時初めて毛虫さんがにっこり笑ってうなずきました。
 それを見てみんなは歓声を上げて、それぞれの家へ飛ぶように帰って行きました。
 みんなの後姿を見送っているうちに、くもさんは急に不安になりました。みんなの夢をかなえる力が自分にあるのだろうか………。
 毛虫さんが、くもさんの顔をみつめて、ぽつりといいました。
 「やれるよ。いや、やるしかないよ。」
 「そうだね。やるしかないね。」
 胸いっぱいの秋に、ふと気の早い北風が戸口の前を吹き抜けて行きました。
 それからくもさんは、朝早くから夜遅くまでひたすら蓑を作りました。毛虫さんが用意してくれた食事やお茶も、そのまま冷たくなっていることがしばしばありました。
 10着目までは、すぐできました。20着をすぎて28着目になると、それまで赤や黄色のきれいな木の葉が入っていた蓑が、みんな枯葉色になりました。
 ある晩、木枯しの音にまじってくもさんの家のドアを、ノックする音がありました。誰だろうと思って毛虫さんが開けて見ると、村長のトノサマバッタが外に立っていました。
 「今晩は、夜遅くすみません。」
 「今晩は、どうしました?」
 「いえ、別にどうってことは。その、くもさんはまだお仕事ですか?」
 「ええ。呼びましょうか?」
 「いえいえ。お仕事の邪魔になると大変ですから。」
 「そうですか。、あ、お茶でもいかがですか?」
 「いえ。すぐ失礼しますから。あの、それでどうです。お仕事は進んでますか?」
 「ええ、毎晩遅くまでやってますからね。あと10着とちょっとですよ。」
 「そうですか。」
 トノサマバッタは、にっこりしました。
 「そうですか、もうすぐですね。」
 「ええ、もうすぐですね。」
 村長さんの笑顔を見て、毛虫さんはやさしくいいました。
 「それでは失礼します。くもさんによろしくお伝え下さい。」
 「そうですか、それじゃあ おやすみなさい。」
 トノサマバッタは、またにっこりしました。
 「神さまにみえますよ、くもさんが。」
 そういってトノサマバッタは、木枯しの中を肩をすくめながら帰って行きました。静かな夜でした。家の中からはくもさんが作る木の葉の音が聞こえてくるだけでした。
 それからもくもさんの仕事は続きました。くもさんひとりが、みんなの運命を変えることができるのでした。くもさんはもう夜もほとんど眠らず、食事も毛虫さんが無理に食べさせなければ、仕事ばかりしておりました。
 いよいよ40着をすぎると、枯れ葉は固くなってしまっていて、くもさんの仕事ははかどらなくなりました。けれどもくもさんは、手に血をにじませながら蓑を作り続けました。
 46着目がやっとできた夜遅く、村に初めての雪が降りました。仕事に夢中だったくもさんも毛虫さんも、雪には気がつきませんでした。ただ、今夜はとても寒いと思っただけでした。
 翌朝、いよいよ47着目を作りだしたくもさんの背中を見ていた毛虫さんは、これで最後だとなんとなく安心して、疲れた頭を振って外に出てびっくりしました。
 いつもの年よりも早い初雪が、村に積っていました。
 悪い夢でもみているような気になった毛虫さんは、大急ぎでバッタ君の家へ行きました。それから村長の家へ、コオロギ君達みんなの家へ。
 みんなは、雪にたえられるほど、強くはありませんでした。
 毛虫さんは、目の前がまっ暗になって、消えてなくなりそうな姿で家に帰りつきました。
 家の中では、くもさんが、何も知らずに一所懸命最後の蓑を作っています。
 毛虫さんは、戸を開けたままくもさんの背中をみつめています。
 「くもさん。」
 「ん? なんだい。毛虫さん。」
 くもさんは、後を振り向きもしません。
 「もういいんだよ。くもさん、もう終ったんだよ。」
 毛虫さんの言葉は、最後は声にはなりませんでした。
 「なんだって。」
 くもさんは、怒ったようにふりむきました。その時、くもさんの目に戸の外の白いべールが入りました。
 「毛虫さん。」
 「くもさん、もういいんだよ。もう終ったんだよ。なにもかも終ったんだ。」
 毛虫さんは、目を閉じてくりかえしました。
 「そんな。これで最後だっていうのに。そんな。」.
 くもさんは、くらくらしながら首を振りました。そして47着目の蓑に顔をうずめました。くもさんの瞳には、みんなの顔が閉じこもっていました。一所懸命生きて、その証しのために一所懸命歌ったあの晩の顔が。
 くもさんの肩が、震え出しました。毛虫さんは、そっと戸を閉めました。
 外では降り止んでいた雪がしきりに降り始めておりました・
 それから何日もたたないうちに、くもさんはこの世を去りました。無理を重ねていたくもさんも、悲しみにたえるほど強くはなかったのでした。


 その年の冬はとても厳しいものでしたが、それでも春はやって来ました。バッタ君達が夢にみていたような、素敵な春でした。春がすぎて、ひまわりの花がまっしぐらに太陽をめざすようになった頃、バッタ君達の子供が生まれました。
 コスモスの花が、はにかんだような姿を見せる頃、子供達が遊んでいる場所に、年をとった一匹の毛虫が、たくさんの木の葉の山を引きずってやってきました。子供達は、毛虫のおじいさんを見るのは初めてでしたが、毛虫さんはとてもやさしい目をしていたので、逃げ出したりせずに、そのままいました。
 毛虫さんは、木の葉の山を引っぱっていた縄をはなすと、腰をのばして、みんなの顔を見回わしました。
 「こんにちは。坊やたち。」
 「こんにちは。」
 最初にあいさつができたのは、トノサマバッタ君でした。それからバッタ君もコオロギ君もみんな、次々にあいさつができました。
 「みんな、いい子だねえ。」
 毛虫さんは、にこにこしながらいいました。
 「みんなのために、今日はいいものを持って来たんだよ。」
 「いいものって、それのこと?」
 バッタ君がたずねました。毛虫さんは、バッタ君を見て目を細めました。
 「これはとてもいいものだよ。これはね。みんなが春を見るためのものだよ。」
 みんなは、なんだかよくわかりません。
 「みんなが、春を見るためのね。」
 「おじいさん、春ってなあに?」
 トノサマバッタ君がたずねます。
 「春かい? 春はねえ、とても素敵なものだよ。とてもやさしくてね。」
 「ふうん。」
 みんな、わかったような、わからないような不思議な気持ちでした。
 「おじいさん。それじゃあ、それをぼくらにくれるの?」
 バッタ君は首をかしげながらききました。
 「ああ、これはねえ。」
 毛虫のおじいさんは、くもさんのことを話そうとしました。けれども、くもさんのことを思い出して、みんなのことを思い出すと、胸がいっぱいになって何もいえません。
 「これはねえ、神さまが下さったんだよ。そう、神さまがね。坊や達に、春が見られるようにってね。そう神さまがね。」
 毛虫さんは、それだけいい終わると、くるりとふりかえって、もと来た方へ歩いて行きました。みんなは、なにがなんだかわからないまま、毛虫さんの後姿を見送っていました。やがて毛虫さんが見えなくなってしまうと、木の葉の山のまわりで、ガヤガヤと騒ぎ始めました。
 「やあ、元気だね。」
 みんなのところへやって来たのは、みの虫君でした。
 「あ、みの虫さん、こんにちは。」
 みんなは元気良く、みの虫君にあいさつしました。
 「どうしたんだい? これは。」
 みの虫君に、トノサマバッタ君が説明しました。毛虫のおじいさんの話、神様の話を。
 「そうか、これか、これがくもさんの作った・・・。これか。」
 みの虫君は、話を聞いてしきりにうなずきました。みんな、みの虫君のところに集まって来ました。
 「みんなは知らないけれどね。これは『蓑』といってね。ほら、私のものと同じだろう?」
 みんなは、みの虫さんをみつめました。
 「そうか、神さまか、そう、神さまのような人だったからねえ。」
 それからみの虫君は、今までのことを話しました。くもさんの話、毛虫さんの話、くもさんがどんなに苦労して蓑を作ったか。けれどもそれがとうとう間に合わなかったこと。そしてくもさんが、この世にいないということを。
 「神さまみたいな人だったよ。」
 みの虫君は、そういって話を終えて、目をふせて、ため息をつきました。みんなは黙って聞いていました。コスモスの花が、風にゆれていました。
 その年、音楽会がいつ聞かれるかも知らずに、毛虫さんはくらしていました。毎日毎日、遠くから聞こえてくる虫達の声に、みんなのことを思い出して、そして、くもさんのことを思い出してくらしておりました。毛虫さんには、誰もたずねてくれる人もなく、たずねてゆける人もいませんでした。毛虫さんは、ひとりぼっちで生きていました。
 また木枯しの季節がやって来ました。もう虫達の声もあまり聞かなくなりました。音楽会はもう終ったのか、それともまだなのか、毛虫さんは知りませんでした。ただくもさんや、みんなのことを思い出してくらしていました。雨の降る夜も、霧の朝も、夜空いっぱいの星の晩も、毛虫さんはみんなのことを思っておりました。
 そうして、くもさんが逝ってしまった日が、やって来ました。
 「あれから一年。」
 毛虫さんはつぶやきます。その日は、久し振りにおだやかな日で、風も微かに吹くくらいの日でした。毛虫さんは、その日一日パイプを吸わずに、一日に10杯もお茶を飲みました。その日も静かに暮れてゆきました。
 「あれから一年だね、くもさん。」
 夜も静まりかえったころ、毛虫さんはひとりでつぶやきます。
 その時です。遠くの方で虫達の声が微かにしたような気がしました。毛虫さんはちょっと首をかしげました。耳をすますと、やっぱり聞こえます。毛虫さんは戸を開けてみました。夜空いっぱいの星でした。星たちが毛虫さんをみつめているような夜でした。
 遠くから聞こえていた虫達の声が、だんだん近づいて未ました。そして、みんなの姿が見えてきました。みんなは毛虫さんの家の前まで来ました。
 「こんばんは、毛虫のおじいさん。」
 トノサマバッタ君がいいました。バッタ君もコオロギ君も、鈴虫君もみんないました。
 みんなは蓑を着ておりました。
 「毛虫のおじいさん。ぼくたち、おじいさんと、そして、くものおじいさんに聞いてほしくてやって来ました。」
 バッタ君がそういうと、みんなでいっしょに歌い出しました。
 毛虫さんは、胸がいっぱいになりました。そうして、空をあおいでいいました。
 「くもさん、聞こえるかい?」
 空いっぱいの星がみんなをみつめるように、きらめいて。
 「くもさん、聞こえるかい?」
 もう一度、毛虫さんはいいました。
 すると星いっぱいの果てしない空から、静かに静かに雪が舞い降りてきました。雪はひらひらと降ってきました。
 「聞こえたんだね。」
 毛虫さんは空をみつめたままでいいました。
 雪は、しきりに降り続き、虫達の歌はいつまでも聞こえておりました。



「神様になったくも」 おわり




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